(懐疑)生前と死後の世界における個体としての人間の行方






2018年01月06日(Sat)
(懐疑)生前と死後の世界における個体としての人間の行方
死を以て認識できる世界を離れ、所謂混沌(生前の人間の認識としては、混沌:カオス)の中に入ると考えた場合、実存的な倫理観ではあるが、意識・無意識を超越した原子レベルの個体の存在を維持して運動することがあるのか。また、分解と分散を繰り返しながら人間およびその他の生命体の中でどういう変化が起こり、再生するなどということが起こるのか。その肉体(個体)に宿ったであろう精神の行方と精神が永遠回帰する肉体などというものが存在するのか。
人間におけるニューロン(神経細胞)の成り立ちやシナプス(接合部)によるさまざまな伝達メカニズム等が同時に宇宙的規模で組成されていると仮定した場合、その大宇宙は個々の人間の抽象的な精神との間に何らかの法則を見出せるのか。
その精神なり肉体が、超新星爆発によって太陽系を飛び出したとき、肉体を構成する原子とともに精神も移動できるのか。そもそも素朴な疑問として、「宇宙は、その初めにおいて何処に発生したのか」「宇宙は有限なのか、それとも無限なのか」「宇宙の内側と裏側という発想は正しいのか」等々不可思議な点が多い、それとも大宇宙を三次元で説明できるのか。

例えば、地球が静止しているのか、自転しているのかということ、所謂、天動説(アリストテレスの宇宙観の継承者・プトレマイオスにより大成)や地動説(紀元前4〜3世紀頃、サモスのアリスタルコスが主張、その後16世紀コペルニクスが体系化、この説をブルーノ、ガリレイが支持)も、その真実を証明するために、多くの歴史の経過を必要としている。


   


哲学の領域について初めて踏み込んでみる。
今まで哲学についての知識や認識を持っていたわけではないが「ソクラテスの弁明」というタイトルは中身はさておき興味深いものとして意識の底にあった。

・ソクラテスは何故死を回避しなかったか。
・ソクラテスにおける人間の「死」の中で、人為的な「死」が肯定される場合と否定される場合があるとき、人為的な死の執行を否定する自分が肯定する自分を十分に超越しない限り受け入れるという選択もあるのだということを示す。


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カレンダ
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